偉大な記録を出した人が偉大な人とは限らない:写真日記9日目

GR3xが修理から帰ってきました。
ポケットに入るコンパクトなGRが好き。
修理期間はぺっきり写真を撮らなくなってました。(ぺっきり)
フルサイズのカメラがあるので写真が撮れないわけじゃないけど、普段のどうでもいい写真撮るにはやっぱり大きい。

スマホが普及して世の中便利になりましたね。
スマホに限らず色々と便利になりましたが、うつ病の人が増えているらしい。
便利さと豊かさにはそこまで相関がないんでしょうかね。
その世の中の流れに流されていない動物に羨ましさを感じます。

世の中といっても、世(人間)の中というわけで。
少し外を散歩すると世(鳩間)の中を見つけました。
食べたい時にご飯を食べて、特に意味はないのかもしれないけど飛んでは歩いて。
如何にも動物、という感じでいいですね。

お金をいっぱい持っているとかいいなとか、有名人はいいな、とか色んな人の羨ましい部分がSNSで可視化された事で、疲れちゃう人が増えているんだろうな、とは思います。
それで行くとその輪にすら入れていない動物は最高に不幸、ということになっちゃいますね。
そんなん知らんがな、と言わんばかりの動物の生き方がいい。
まぁ動物の世界は動物の世界で大変な事はあるだろうけども。
やっぱり隣の芝生は青く見えちゃう。
イチローがこんな言葉を残していました。
いろんな数字を残した人、偉大な数字を残した人、たくさんいますけど、その人が偉大だとは限らないですね。偉大な人間であるとは限らない。むしろ、反対の方が多いケースがあると僕は、日米で思う。
イチロー自身、記録を残した人なので説得力が凄いですね。
別にいわゆる成功した人が偉大な人という訳じゃないですし。
お金持っててもしょーもない人はたくさんいますし。
久しぶりに写真を撮って、その後写真をRAW現像しながらそんな事を考えた建国記念日でした。